草津の街歩きを満喫し、いよいよ今夜の宿へと向かう。 スタバで冷や汗をかきながら予約ボタンを押し、私の小遣いを丸裸にした決意の舞台。 「温泉旅館 裏草津 蕩(とう)」だ。
エントランスを抜けると、そこはシュッとしたモダンな空間だった。
フロントでは、海外出身のスタッフさんが流暢な日本語でスマートに出迎えてくれる。
さすがは国際的な観光地・草津。私の怪しい英語の出番は全くなかった。
しかし、チェックインの手続き中、私はとんでもない事実に気がついてしまう。
「……あれ? 娘の夕食ってどうなってるんだ?」
今回のプラン、娘(4歳)の宿泊費は無料だった。それに気を良くしてポチったのはいいが、完全に娘の夕食の手配を忘れていたのである。 13万円も払って、愛する我が子だけ白米抜き!?
スタバでフラペチーノのストローを噛み潰した時以上の冷や汗が吹き出す。
慌ててスマートな外国人スタッフさんに相談すると、嫌な顔ひとつせず、急遽お子様向けのセットを用意してくれるという。 神様、仏様、草津様。本当にありがとうございます
(そして娘よ、ごめんね……)。
案内された部屋は、すっきりとしておしゃれな和室。 扉を開けた瞬間、娘が大はしゃぎでふかふかのベッドへダイブした。
荷物を置いた私と妻は、無言で顔を見合わせた。そして、おもむろにコンビニの袋から取り出した缶ビールを開ける。
「プシューーーッ!」
13万円の高級宿で、最初に口にするのがコンビニの缶ビール。 でも、これが最高に美味いのだ。車内一人カラオケ状態だった孤独な4時間半のドライブは、すべてこの一口のためにあったと確信した。
一息ついて、早速3人でお風呂へ。 3月の草津の夜は容赦ない。外の気温は氷点下だ。ブルブル震えながら露天風呂に向かうと、そこには白濁した硫黄の香りの温泉が待っていた。 極寒の空気と、草津特有の熱めのお湯。この温度差がたまらない。
壁の向こうの女性風呂から、妻と娘がキャッキャとはしゃぐ声が聞こえてくる。 「あぁ、これでよかったんだ」 日頃の疲れが、文字通りお湯に溶けていく。(結局、このお湯の虜になった私は、夜中と早朝にも一人で露天風呂を堪能することになる)
そして、いよいよお待ちかねの夕食。 急遽手配をお願いした娘の席には、立派すぎるお子様セットが鎮座していた。スタッフのお姉さんもフレンドリーに娘に話しかけてくれ、娘のテンションもMAXだ。
我々大人は白ワインで、娘はお水で、結婚5周年の乾杯。
結論から言おう。 ここの夕食、期待のハードルを軽々と超えてくるほど美味しかった。
食材の良さはもちろん、器から盛り付けに至るまで、すべてにこだわりが詰まっている。一口食べるごとに、妻と「美味しいね」と顔を見合わせた。
スタバで電卓を叩き、予算ギリギリで震えながら予約したあの夜。 でも、目の前で極上の料理を頬張り、満面の笑みを浮かべる妻と娘を見て、私は心底ホッとしていた。あの日の自分に言ってやりたい。「お前、ナイスポチ!」と。
「この蕩(TOU)という宿を選んで、本当によかった」
食後は、氷点下の草津の街を少しだけ3人で散歩した。
冷たい空気が、火照った体に心地よい。
部屋に戻り、枕投げこそしなかったが、家族で特別な「非日常」を過ごすことができた、完璧な結婚記念日の夜だった。



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